二所山田神社の由緒
当社は明治四十年(一九〇七)に、二所神社(旧二所大明神)と山田神社(旧山田権前)を合祀して、社号を二所山田神社(ニショヤマダジンジャ)と改めました。二所神社は、出雲大社の神々を歓請したものと伝えられ、山田神社は、伊勢神宮の神々を歓請したものといわれています。
二所神社の由緒
二所神社は社伝によると、平安時代の昌泰二年(八九九)、渋川石船に鎮座していたものを、鎌倉時代の弘長二年(一二六二)、亀竜山に移転し、江戸時代の延宝二年(一六七四)に「宮床に遷す」とあります。 鎌倉時代の元亨元年(一三二一)、大内弘幸は当社の社坊として、月輪山善居院を開基しています。
『八ヶ国分限帳』に「一七石三斗一升賀野両社」と記されていますが、両社とは二所神社と山田神社のことです。 また、毛利藩時代には御祈祷所の格に列せられ、大歳越節分の三ヶ日御祈祷を行い、神主は年始のお目見得及び年回法要の焼香を許されたと伝えられています。 その由緒をもって、明治九年(一八七六)に郷社に列せられました。祭神は八千矛神と大国主神の二神です。
山田神社の由緒
山田神社は、『寺社由来』に「文治二年(一一八六)伊勢国度会郡山田郷より勧請、大内弘盛が建立した」とあります。『三代実録』の元慶二年(八七八)六月二十三日に「周防国山田ノ神に正六位上より従五位下を授く」という記載があるのは、当山田神社のことであるとする説もあります。また『防長地名淵鑑』によると、『日本地理志料』に山田郷を掲げ、鹿野村を郷域としています。
『和銅三年紀』(七一〇)に「周防守山田史御方あり。鹿野村山田権前社は、山田氏の祖神を祀るなりといえり」とあって、二代目周防守山田見方の創建になるともする説もあります。江戸時代の享保十二年(一七二七)、「社殿が新営された」と記録にありますが、同所は現在地の東に寄ったところにあったと伝えられています。明治十二年(一八七九)に村社に指定されました。二所神社と合祀されて二所山田神社となったあとは、郷社に指定されました。祭神は天照大神・豊受気毘売神の二神です。
御祭神
主祭神
天照大御神
豊受大御神
大国主神
八千矛神
配祀神
少彦名神・大己貴神・素戔嗚尊・軻遇突智神・事代主神・罔象女尊・倉稲魂命・柿本人麿命・市杵嶋姫命(以上二所大明神)・天児屋根命・大己貴神・保食神・猿田彦大神・素戔嗚命(以上山田権前社)
例祭日
04月22日 |
春祭 |
11月08日 | 秋季例大祭 |